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猿渡 久子(えんど ひさこ)
 祖父の名「久太郎(きゅうたろう)」から「久」の字をもらった名だそうです。私が子どもの頃「きゅうたろう」というと「おバケのQ太郎」でした。
 「ハッピーエンドのえんど」と覚えてください。「ジ・エンド」とは呼ばないで下さいね。
【生年月日】
 
1959年4月8日 (52歳)
 予定日より2ヶ月も早く生まれてしまいましたが、元気に育ちました。
【現職】
別府市議会議員 4期目
日本共産党 大分県委員
日本共産党北部地区委員会 常任委員
別府市生活と健康を守る会 副会長
大分県生活と健康を守る会連合会 副会長
青山中学校同窓会副会長
【家族】
夫、実は宇佐に通勤。
長女、白井あゆは結婚し東京在住。建設会社勤務。
次女みさきは福岡在住。ネイルサロン勤務。
愛犬ハッピーは、長女あゆのところへお引越しして白井ハッピーになりました。
【子どもの頃は】
 とってもおとなしい子でした。本当ですよ! 今は誰も信じてくれませんが……。その反動が出てるのかな?
【趣味】
 写真と俳句。どちらもなかなか上達しませんが、せっかくいろいろなところに行き、いろいろな経験をするので、写真や俳句に残したい。
 家族新聞は、年に1回ですが22年間くらい発行しています。
【マイブームは】
 娘からプレゼントされたマッサージ機でのマッサージ(婆くさいなぁ……)
【日本共産党に入党したのは】
 戦争に反対したのは政党では共産党だけだということ、命がけで戦争に反対した党だということを知り、「難しいことはわからないけど、その事実だけは信じられる」と思い、支持しはじめました。
 日本共産党を知れば知るほど、なるほどそうかと納得でき、信頼できる党だと思い24歳で党の仲間に加わりました。
 今も、将来展望をしっかり示せるこの党の一員であることを、本当に誇りに思っています。
【日本共産党の議員でよかったと思うときは】
・誰に対しても市民の立場で言いたいことがズバリと言えること。市長はもちろん、県や国の役人にも市民の声を届けます。与党議員は自分の考えは本当は反対でも、よほどのことがなければ市長の提案に反対できないようですが、私たちは自分の考えで賛成すべきは賛成し、反対すべきことにはキッパリ反対します。当たり前のことですが……。

・粘り強く主張し、みなさんと一緒に力をあわせて取り組んできたことが実現して喜ばれたとき、また、生活相談などで問題が解決し喜んでもらったときにも、とてもやりがいを感じます。

・議員になる前に保育士をしていた時には、0歳から人を育てる保育士の仕事を「こんなやりがいのある仕事はない」と思っていました。そして、今は、みなさんと力をあわせて願いを実現していこう、不可能を可能にしていこう、みんなで世の中を変えていこうという、共産党議員という仕事を、「こんなやりがいのある仕事はない」と思っています。本当に幸せなことだと思います。これも、みなさんのおかげです。職員のみなさんとも、知恵を出しあい、力をあわせて市民に喜ばれるいい仕事をしていきたい、と思っています。

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