TOPへ
 ごあいさつ
 日本共産党の議員となって、2010年で12年目に入りました。それまでしていた保育士の仕事もやりがいがありましたが、みなさんの声を届ける議員という仕事に大変やりがいを感じています。(これ本音です)

 働く女性として母親として、福祉の現場で働いてきた者としての視点を活かしてと、2期目までは福祉や教育関係を中心に取り組んで来ました。3期目に入るころから、市民の関心が高い町づくりなども勉強したいと取り組んでいるところです。

 みなさんの率直なご意見を聞かせていただきながら、今後に活かして行きたいと思います。私に対し、市政に対し、お困りのことなどなど、ご意見・ご要望をお寄せ下さい。よろしくお願いします。
 
 ホームページ再スタートにあたって
日本共産党別府市議の猿渡久子です。
7年ほど前にホームページを立ち上げましたが、見ていただくのが恥ずかしい状況でした・・。ズブの素人の私が毎晩遅くまでかかり苦労して手作りしたのですが、うまくアップできずに挫折・・。「パソコンなんか嫌いだぁ」と放置してしまっていました。・・が、援助をいただき再スタートさせることにしました!

こんな、えんど久子の素顔を時々のぞいてみて下さい。よろしくお願いします。

(写真は2003年3月30日製作のHP)
 私の思い
 日本共産党の市議会議員として仕事をさせていただく中で、いちばん喜びややりがいを感じるのは、やはり、みなさんから託された願いや要求を実現させることができた時です。
 もちろん、それは私ひとりの実績ではなく、どれも市民のみなさんとご一緒に声を上げ取り組むなかで実現にこぎつけたものばかりです。
 ……とは言っても、やっと足がかりができたものや、はじめの一歩をふみだしたばかりです。今後、さらに改善や充実させ、本当にみなさんに喜ばれるものに発展させていかなければならないと考えています。今後も、みなさんのご意見を聞かせていただきながら、みなさんとご一緒にがんばっていきたいと思っています。
 よろしくお願いします。
 私と家族
子育て真っ最中(1991年頃)
3期目の選挙を支えてくれた家族
愛犬「ハッピー」・2016年東京に行った長女に抱っこされて永眠。もうすぐ18才でした
新しく家族になった保護猫のボン。写真は孫に抱っこされています
 ふたりの娘は2010年現在、長女は東京で社会人として暮らしていますし、次女は福岡で学生生活を送っています。
 私はとても不器用な人間で努力も足りず、娘たちに母親らしいことをしてあげていないという思いがあります。それでも、まっすぐに育ってくれたことに心から感謝しています。

 ふたりの娘が尊敬していると言ってくれたときは本当にうれしかったです。(お世辞もあるでしょうが・・・)思い出しても涙が出ます。

 こんな私を支えてくれる家族に感謝、感謝です。

 私と日本共産党
 私と日本共産党との出会いは、ある参議院選挙の時でした。「戦争に反対してきた政党は日本共産党だけなんよ」と教えてもらいました。
 迷った末に「難しいことはわからないけど、戦争に反対した事実だけは信じられる」と思い、初めて日本共産党に投票しました。その後、まもなく24歳で入党。

 「ひとりの力は小さいけれどみんなで作ろう我がまち別府」・・・このタイトルで手書きの後援会ニュースを作っていました。子どもが小さい頃で保育士の仕事も忙しい中だったけど、仲間とのこんな活動は楽しかったなぁ。

 児童館を作る会の運動が思った以上にひろがり、初めての児童館が別府市にできた時には、「本当にできたなあ!すごいなあ!」と喜び合いました。
 この経験から、「ひとりの力は小さいけれどみんなで力をあわせれば大きな力になる。時間はかかってもあきらめずがんばれば、夢を実現できる!」と確信を深めました。

 私は、日本共産党の議員として働けることが本当に幸せです。誇りに感じています。
(写真は1999年4月25日市議選初当選)

 議員生活から学んだこと
 人との出会いから多くを学びます。
 時には「えんどさん、オレ首くくろうごとあるんや。生活できんのや」という相談があることも……。

 こちらが励まされることもたくさんあります。また、全国各地の党の先輩や仲間からも、市役所の幹部の方や職員さんからも、学ぶことがたくさんあります。
 議員になっていなければ出会っていない方も多いのです。

 ある方に教えていただいた言葉を手帳にメモしました。

 「心中常に喜神を含むこと」

 どんなに苦しいことがあっても、心のどこか奥の方に喜びを持つこと、という意味だそうです。

 苦しいこと大変なこともエネルギーに変えてしまう人ってすごいなぁ、と尊敬します。「二度とない今を楽しまなきゃもったいない」と、最近思えるようになりました。
(写真は越前市倉の辻の視察)

TOPへ